自転車ライフ

2008年4月 6日 (日)

山あいの古寺をたずねる

Yamazakura  陽気に誘われてまたもやふらふらとサイクリングに出かけた。近畿自然歩道、「山あいの古寺をたずねるみち」をのんびりと走った。金剛座寺から普賢寺に回るとちょうど法要が行われており、国の重要文化財「普賢菩薩坐像」が拝観できた上、ご住職の母上から坐像の丁寧な説明を聞かせてもらうことができた。この地は「神坂(こうざか)」といい、伊勢で最も古い歴史を持った地域で、山上の神と里宮とを結ぶ聖なる道にその地名は由来するそうだ。Sakuraall_2
  そして圧巻は、山桜の巨木「行者桜」である。地元にこんなすばらしい桜の木があるとは知らなかった。根元から見上げるとその大きさがよくわかる。しばしその姿に圧倒されてたたずんだ。近長谷寺への道を登ると、大きなしだれとソメイヨシノが並んで咲いている素晴らしい景色に出会う。奈良・長谷寺の観音と並び賞せられる近長谷寺の十一面観音立像は既に何度かおまいりしているので今日は訪れなかった。
 丹生へと進み神宮寺の桜、丹生神社・伊勢椿の原木をみた。伊勢本街道の津留の渡しにかかる橋のたもとには大きな桜が門をつくっていてサイクリストを歓迎してくれているかのようであった。近くの民家には大きなこぶしの木があり、これにも圧倒された。
 

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2008年4月 5日 (土)

125社巡礼

125sha080404   伊勢神宮の正式の名称はただの「神宮」、しかも内宮と外宮だけではなくこの両正宮を筆頭に、14の別宮、43の摂社、24の末社そして42の所管社、合計125の宮社で構成される組織体だそうだ。今年私は満60歳の還暦を迎えたこともあり人生の節目としてこの神宮125社巡礼をする事にした。気候も良くなってきたので巡礼は主にサイクリングで行こうと考えた。
 4月4日、絶好の日和となったのでお花見もかねて自転車で出かけた。最初におまいりするところは田丸地域にした。小社(おごそ)神社、奈良波良(ならはら)神社、鴨下神社と参拝した。どこも小ぶりだが品のある社が建ち、手入れの行き届いた宮域林がある。奈良波良神社の場所がわからずに、通りで見かけた地元の若い衆に尋ねても分からないという。少し年配の人が来てやっとわかった、地元では、「やぐらど」と呼んでいるそうだ。
 参拝後、中世北畠氏の居城「田丸城址」に寄って満開の桜を見てきた。自転車で走っていると、これはという場所を見つけた時に気軽に立ち寄り見物ができるので気にいっている。

Tamaru4080404

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2007年12月10日 (月)

こやまさん

Koyamaall071209 Koyamaall071209_2 小学生のときに学校裏を流れる櫛田川の対岸下手にある山を「こやまさん」と教えてもらったが、特に気をとめずにいた。もうすぐ還暦を迎えるこの歳になって郷土史に興味を持っていろいろ調べていたら「こやまさん」と教えてもらった山は、十四世紀半ば北畠家臣の潮田氏が「神山城(こうやまじょう)」と呼ばれる城を築いていた山で、さらには天照大神の御杖代として大宮処を求めて諸国を幸行した倭姫命が四年間にわたって大神を奉斎した「飯野の高宮」の所在地であったことから、「神山(こうやま)さん」なのだと知って初めて納得した。倭姫命が櫛を落としたため櫛田と名付けられたところは、ここから約4km程下にある。
 さっそく訪ねることにした。神山頂上付近にはお寺があるため所々石が崩れているものの登りやすい階段道がついていて、階段を登りきったところが「神山一乗寺」だ。境内に入るとずいぶんと立派な堂宇・伽藍が建ち並んでいるので驚いた。天台宗延暦寺派の古刹とのことで、風格が感じられる。境内西側に竜宮城のような山門があり、その奥に城址へと通じる石段があった。
 こちらの石段は大分崩れかかっていて登りにくい。石段を登った先は、背丈ほどもある笹が覆いかぶさった林の尾根道になっている。しばらく歩くと少し開けた藪の中に三角点があり、ここが神山城址主郭で他に曲輪や横堀等の遺構もあるそうだが藪でよくわからない上、展望はまるで無かった。ちょっとがっかりである。
 神山を下りたふもとには「神山神社」がある。「飯野の高宮」に比定される神社で古代には神山の山頂にあったが、神山城築城の頃現在のふもとに移ったそうだ。神社の前の道の少し先にある集落が山添、集落の中ほどのところに「史跡服部本家屋敷」がある。江戸時代から紙商を営み「湊屋」を号していた江戸店持ちの松阪商人の屋敷で、現在も東京で「服部紙商事」として続いている。
Koyama1071209

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2007年12月 3日 (月)

自転車本を読む3

Book3071203 以前読んだ疋田智著『大人の自転車ライフ』が面白かったので、同書のあとがきに紹介されていた同著者の『自転車生活の愉しみ』を続いて読んだ。発行は6年前の2001年だ。この本のハイライトはヨーロッパ自転車紀行の部分だろう。著者は自転車利用先進国、オランダ、ドイツでそれぞれ二都市を訪れて状況をレポートしている。
 そこで感じたことは、「ヨーロッパではどれだけ自転車が活用されているかで、街のインテリジェンスが決まる。街の交通の主役は自転車に移り、街から排気ガスを一掃し人々は自転車で仕事に向かい、買い物をしている。」「ドイツのミュンスター市では、自転車屋さんで荷物運びのためのリヤカーが全く普通の顔をして売られていた。」というものだ。オランダ・ドイツともにエコロジーの最先進国だ。そういう国の取組があり市民もそれをよしと考えているからこそ、市街地から全く自家用車をなくすということができているのだろう。
 あとがきでは、「今の快適さをすべて手放すことはできない。でも、ちょっとなら手放せる。そのちょっとが莫大な無駄を生んでいるのならば、それを積極的に手放してみよう」「自転車に乗るのは愉しいからで、気持ちがいいからで、そして、人生がちょっぴり幸せになるからだ。それは何より、自転車は人間と地球にフレンドリーだからだ」と述べている。
 まだ私も企業退職後に自転車に乗り始めたばかりであるが、機会を見つけてはサイクリングを楽しみ、最近は往復30km以内の移動については極力自転車で行こうと心がけている。理由は、エコロジー・ヘルシーであると同時に、何よりもエコノミーであるからだ。移動の交通費はかからなく、しかもお金をかけずに楽しむことができる。

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2007年11月14日 (水)

北畠氏遺構をめぐる5

Hitsu071113 JR名松線終点「伊勢奥津」駅の一つ手前、「比津」駅で下車して北畠氏の本城「霧山城址」に向かった。比津峠の手前で城址に続く道に入ったが、大変急な狭い坂道で往生した。登りきった頂上が「霧山城址」、尼ケ岳・大洞山等室生火山群の山々が良く見える。
標高570m、こんな不便な山の上によく城(砦)を作ったものだ。

 城址から美杉町多気(たげ)に向かって下る、多気は北畠氏の本拠地で室町時代伊勢国の中心として大層栄えていたそうだ。その多気の中心地にあったのが北畠氏館跡・多気御所であり、現在は北畠神社となっている。城址を下りてくるとちょうど神社の脇に出る、神苑の一部となっている館跡庭園は国の名勝・史跡に指定されている室町時代の貴重な文化遺産だ。細川高国が作ったと伝えられ書院から庭を眺める武家書院庭園・池泉鑑賞様式というそうだ。もみじが色づき始めている優雅な庭園のしんと静まった中で一人たたずんでいたら、老人クラブの団体客がどっと来て静寂を破られた。
 館跡は発掘調査によって上・中・下三段に渡る大規模な遺構と判り、今後都市域の発掘がなされれば一乗寺朝倉遺跡をしのぐのではないかと見られている。今は発掘が中断されているので再開が楽しみだ。

 ここ多気宿から伊勢本街道・飼坂峠を越えて奥津宿へと歩き、伊勢奥津駅で名松線の列車を待合室で待っていると「室生からここまで約30㎞を歩いてきた。今日で大阪・玉造神社から伊勢神宮までの伊勢本街道を完歩した。」という同好のつわものに出会って帰りの列車は話が弾んだ。
Kirayamav071113

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2007年10月18日 (木)

北畠氏遺構をめぐる4

Misedani071018 秋晴れの良い天気になったのでJR線を利用して三瀬谷の北畠氏・三瀬館跡を訪ねた。本当は自転車で行きたいのだが往復で約45kmの距離があり、まだ30kmを漕いだだけで脚がつってく
る程度の脚力しかできていないため徒歩にした。100km程度は普通に漕げるようにトレーニングを積まなくてはいけないのだがさぼりがちだ。
 三瀬館跡は、北畠具教が織田氏との大河内城攻防戦に破れて家督を信長の次男に譲った後、再興の機を伺うために隠居した館である。しかし、その四年後この館で旧臣により謀殺され伊勢国司北畠氏は八代で滅亡した。
 今回歩いた道は、近畿自然歩道「北畠家の遺跡をたずねるみち」となっているコースである。JR三瀬谷駅から歩いて約40分、一面茶畑の斜面を上り詰めた山裾に館跡があった。「鎌止山斜面を改修してほぼ三段にしつらえた」と案内板にある。もみじや桜のMisedani2071018_2木が繁っており、いかにも館跡の趣がある。溝を挟んで対面する南面には「胴塚」が祀られている。
 館跡を見た後斜面を下りて約30分、下三瀬に出ると北畠氏の家臣三瀬氏の軍事拠点「三瀬砦跡」に着く。周りに土塁が築かれた郭がある。
ここからさらに東に進むと熊野街道の道標と出会い、宮川に降りていった先が「三瀬の渡し跡」だ。今はその真Misedani3上に近畿自動車道紀勢線の宮川橋が架かっている。渡し舟から高速道へと大変な変化である。渡し跡でお昼弁当を食べてから駅方向に取って返し、宮川と大内山川が合流する地点に架かる舟木橋に出て美しい宮川の流れを眺めて駅に戻った。

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2007年10月 9日 (火)

自転車本を読む2

Book2071008 『大人の自転車ライフ』(疋田智著)を読んだ。2002年に『快適自転車ライフ』と題して刊行されたものに加筆訂正を加え、2005年に文庫本として出版された本である。
 「自転車には様々な効用がある。ダイエットであり、健康であり、マネーセービングであり、街の表情や季節感だったりするだろう。・・・最後にくるのが環境なのだ」と著者は述べているが、最も言いたいことは、”市街地で自転車に乗ることは考えることであり、問題を感じることができること”だということだろう。道路を移動するものの中で最も強者である車が、通行を最優先されているという現実が自転車に乗ることによってよく見えてくる。
 車のない時代、道は人が自由に通るところであったのに産業社会の進展とモータリーゼーションの普及により歩行者が全くないがしろにされるようになってしまった。横断歩道橋はその最たるものだろう。少なくとも市街地については、歩行者を最優先する通行の仕組と交通ルールにするべきだ。
 車は高速で移動する乗り物なので、運転者は常に神経を張り詰めて前方や周囲を注意していなければならない。それに対して自転車のスピードは車の半分以下であるから、漕ぎながら思考ができ景色を愉しむゆとりがもてる。鉄道に例えると、新幹線とローカル線の関係だ。ではもっとスローな歩きはどうか、高名な数学者が散歩中に解を発見したという話をなにかで読んだことがあるが、私には散歩はスピードが遅すぎて気分が高揚しないので思考には不向きではないかと思われる。自転車はちょうど良い速度の乗り物だ。自転車と同じくらいのスピードで走るマラソンランナーは、走っているときに何を考えているのだろうか。

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2007年10月 7日 (日)

北畠氏遺構をめぐる3

 大分涼しくなってきたので夕刻前でも暑くなく15時頃から自転車を漕ぎ始めた。私が高校二年生の年まで、国鉄松阪駅前から櫛田川中流部の大石(おいし)というところまでの約20kmを小さな電車が走っていた。大正元年に「松阪軽便鉄道」として開業した三重交通松阪線である。通称は「松電」、車両はクリーム色とダークグリーン色のツートンカラーの小ぶりな2輌編成で、高校一年生の時はこれを利用して通学していた。
 今日走行したルートはこの松電廃線跡の道である。旧射和(いざわ)駅から旧大石駅までは、線路跡が代行バスの路線として整備され県道になっている。射和からこの道に入り、途中「御麻生薗(みょうぞの)」の集落から北上し高速:伊勢道の脇道に入り峠を越えると、大河内(おかわち)の集落に出る。この地にあるのが、北畠氏の居城の一つ大河内城跡であるOkawachi071006
 織田信長の伊勢攻略の際、大河内城をめぐって両軍が決戦し北畠軍は50日にもおよぶ籠城戦に耐えて、難攻不落の堅城と称賛されたらしい。この戦の和睦条件が、信長の次男:信雄を北畠氏の養子として家督を継がせることであり、北畠氏の滅亡へと繋がっていく。
 大河内からは、阪内川沿道を走り丹生寺で立野へと川を渡る。山室へ出るとやがて国道42号にぶつかり再び線路跡へと入るが、旧中万(ちゅうま)駅までは国道42号線があるためバスルートから外れていて旧下蛸路(しもたこじ)駅付近までが未舗装の道であった。しかもここ数日の雨でひどくぬかるんでいる上に轍が深い。自転車を担いで歩いたり、引きながら歩いたりと難儀したが、やがて田んぼ道・舗装道となり中万の街に出た。
Chuma071006
 中万は、近くの射和(いざわ)・相可(おうか)の集落とともに江戸店を持つ松阪商人(櫛田川グループ)を生んだところで、いまでも竹口家・富山家の大きな屋敷が残るとともに街全体に蔵のある家が多く歴史を感じさせる。夕刻の散歩をしている男性老人に「富山さんはどのあたりですか」とたずねたら、「私が富山ですが」との答えが帰ってきた。「では江戸店持ち富山家のご子孫の方ですか」と驚いて聞くと、そうではなく富山さん違いであった。
 中万から射和に戻ると、ここには国分家(食品卸:国分創業地)・竹川家の大きなお屋敷がある。国分家の当主:国分勘兵衛氏は、年に一度東京からきてこのお屋敷に滞在するとの話を聞いたことがある。

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2007年10月 4日 (木)

自転車トラブル

 自転車の構造や仕組みについて何にも知らずに乗り始めたので、知らTrouble1071004_3ないことによる初歩的なミスばかり犯している。正しい知識を持って取り扱うことと柔軟思考の必要性を改めて痛感した。
 今回のミスは、空気入れと外したホイールの取付である。空気が減ってきたので入れようとしたが、チューブバルブ口のところでスースー空気が漏れるばかりで一向に入らない。バルブは仏式であるため英式のバルブアダプタをつけ、英式の空気入れ口金を使って入れようとしたのだがどうしても入らない。これはやはり英式の空気入れ口金を使用しているせいだろうと思い込み、仏式バルブ対応口金アダプタが付属する空気入れを新しく購入して空気を入れた。Trouble2071004_2
 今度は後輪の空気はすんなりと入ったのだが、前輪にどうしても空気が入っていかない。自転車屋に言われたとおり、バルブ先端のねじを緩めて空気を入れているのだが入らないのである。後輪には入って、前輪に入らないので「これはもうバルブのトラブルだ」とあきらめて、クイックレバーを開いて前輪をはずし自転車屋に持ち込んだ。
 持ち込んで恥かしい思いをした。何のことはない、バルブ先端のねじを緩めた後に少し押しこまなければいけなかったのである。自転車屋は私に恥をかかせないようにと「押し込みのタイミングが悪かったのでしょうかね」とソフトに言ってくれたが、単なる知識不足が原因で後輪に入ったのは偶然だっただけ。そしてその後、更なる失敗を重ねてしまった。外したホイールが取付できないのだ。
 若い頃にマウンテンバイクに乗った経験はあるがホイールを外したことは無く、単に元通り戻せばいいのだろうと思っていただけで外す時ハブのどの位置に取付されているのかを確認しなかった。ホイールをセットする際、形状から取付位置はハブのここだろうと勝手に思い込んで、その位置にセットしようとするのだが一向に入らない。フロントフレームの幅が広く、取付部サイズも合わない。ハブの軸ねじまで緩めて悪戦苦闘した。
Trouble3071004  もう一度冷静に仕組を見たところ、取付ようとしていた位置が根本的に間違っていたのだった。やっとセットできたが、自転車屋できちんとチェックしてもらう必要が ありそうだ。齢60歳を直前にして、早くも老人性思込頑迷病の発病を思い知らされた。これからは、「かっこ悪くてもええやんか」の精神を持ち、そして買ったままで読んでいない『自転車トラブル解決ブック』を読んでおこう。

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2007年9月25日 (火)

北畠氏遺構をめぐる2

Sasayamahigan070925 お彼岸ももう終わりというのに今日も30度を越す暑い日となったが少し風が吹いていたので北畠氏遺構巡りサイクリングに出かけた。和歌山別街道を通り、前村から北に入る山裾の道を走るとやがて長谷の里に出る。ここから約700m の急峻な参道を登ると、重要文化財・木造十一面観音のある近長谷寺だ。丹生峠を越えて伊勢自動車道の下をくぐり、しばらく走ると丹生の集落に出る。
 Sasayamanio070925_2 この地名の由来は、「丹砂(水銀)を生むところ」であることにちなんでいる。古代から水銀を産し、奈良東大寺大仏の金メッキにはかなりの量の丹生の水銀が使われ、平安時代には丹生千軒と言われるほど発展した。地元で丹生大師と呼ばれる神宮寺は、院号を持つ真言宗山階派の一等格の寺院で「丹生山成就院」と称す。現在、丹生には7ケ寺あるが江戸時代には30ケ寺をSasayamashiro070925超える寺院があったそうだ。
  丹生を抜けると櫛田川に出合う。ここを川沿いに南下し、古江と朝柄の集落の境目にある城山が『五箇篠山城跡』である。比高差70m の完全な独立丘陵上にある城跡で、ふもとから頂上まで階段が整備されており、上りきったところが主郭本丸の位置。ここから櫛田川の流れが見渡せ、気持ちが良い。城はSasayamachushu070925在地領主の五箇氏の拠点として築かれ、その後野呂氏が入り代々の居城と していたようだ。1576年北畠具教が織田信長に滅ぼされた後、弟の具親が旧臣を募って蜂起し、本能寺の変を機にここに立て篭もったが落城した。
 帰り道は櫛田川の対岸に渡り、近くにある千尋江神社にお参りした。野呂氏が上野国から伊勢に入った際、武神である八幡神社を奉遷したもので、本殿は江戸時代の流造軒唐破風付の立派な神社で、本殿の上には覆殿が造られている。今日は、満月の2日前であるが「中秋の名月」の日。名月を見ながら家に戻った。

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2007年9月 9日 (日)

北畠氏遺構をめぐる1

Ikebe070909 中世から近世、伊勢の国司は公家領主・北畠氏である。「神皇正統記」を著した北畠親房の子、顕能が1342年に伊勢に入り1576年塚原ト伝・鹿島新当流免許皆伝の具教が織田氏に滅ぼされるまでの間約230年にわたり伊勢国南部五郡を支配した。
 今年の煮えたぎるような暑熱の夏も一段落したので、比較的涼しい時間(と言ってもまだ蒸し暑い)を縫ってサイクリングを再開した。今回サイクリングテーマを「北畠氏遺構を巡る」に決めて、早速「田丸城」を訪ねた。伊勢本街道を走り、江戸時代の「きんりうくはん」と書かれた薬種商金粒丸本店大好庵の看板(伊勢の万金丹と並ぶ有名な漢方薬だったそう)や笠の部分が丸く珍しい常夜灯・道標を眺めつつ「伏拝坂」に出た。この地は、『昔伊勢まいりの旅人がここまできて、村人に神宮までの道のりを尋ねたところ、「三里山道 五里畷」と聞き、まだ八里もあるかとおどろいて、ここから神宮を伏し拝んで残念そうに帰っていった』というところ。やがて田丸に出た。
Tamarujyo070909
 田丸城はJR参宮線田丸駅前にある北畠氏城址。もっとも北畠氏の頃は砦が築かれただけであったが、具教の時代、織田信長との戦の和議条件として北畠氏の養子となった織田信長の次男・信雄が北畠氏の本城として大修築を行い三層の天守を築いた。江戸時代には紀州徳川家の持城となり、田丸城代が置かれた。立派な石垣が残っている。そして初瀬街道から熊野街道が分岐する道標のある辻に出た。田丸と和歌山を結ぶのが「和歌山街道」である。 この辻から、熊野街道を走り野中に出る。野中の道標には、「左さいこく道」「よしのかうやみち」「すくさんくう道」とあり、熊野街道から和歌山別街道が分岐する。そろそろ日も暮れかけており電灯をともして岐路についた。久しぶりの自転車のりは28kmの走行で、なんだか気分がすっきりとした。

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2007年7月 7日 (土)

自転車本を読む

Kogukogu070707 自転車に乗るようになり、参考にしようと自転車に関する本をいろいろと読み始めています。このたび読み終えたのが、『こぐこぐ自転車』です。
 著者の伊藤礼氏は、70歳前に大学教授を定年退官してから自転車のおもしろさに目覚め、もう退官の翌年と翌々年には二年連続して仲間とともに北海道ツーリングを敢行する入れ込みぶりです。そしてそのメンバーとは、気心の知れた囲碁仲間を次々と自転車の世界に引きずり込んだ、自身を含めて古希を超えた二人と還暦を優に過ぎた二人の計四人組です。
 最終章「北海道自転車旅行の巻」がその時のツーリング紀行で、本書のハイライトです。鋭い観察眼と率直な物言いそしてユーモアあふれる文章は、自転車の楽しさを教えてくれるとともに林住期の退職者に勇気を与えてくれます。私も仲間を引き込みツーリングプランの検討を始めたいと思います。

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2007年7月 1日 (日)

沈下橋その2・3

Chinka3070630_1  これまでより自転車で遠出をして沈下橋その2、その3を訪れました。まず15km程漕いでその3に到着。この橋は水面から1m程のところに架かっています。やはり鮎の友釣りの釣人が二人いました。そして近所に住んでいるかたでしょう、中年の男性が犬を散歩に連れてきて川で泳がせていました。この暑さですから、犬も水につかり気持ちがいいのでしょうね。
 この橋を渡り対岸に出るとすぐ近くを農業用水が流れています。もう少し上流にある取水堰から隋道になっており、この付近で水路が顔を出し茶畑や栗林になっているところを田んぼのシーズンなので水量豊かにとうとうと流れています。水路脇には側道がついており、Chinka2070630その一部が近畿自然歩道となっています。この側道に沿って走りました。用水の流れや付近の山里の景色(なかなか良い景色です)を見ながら一人でゆったりと自転車で走る、いい気分です。
 3km程水路脇を走ったあと用水とわかれて、いくつかの在所を越えて沈下橋その2につきました。この橋は、いくたびの洪水のため大分痛んでいます。隙間ができたり、でこぼこになったりしていてちょっととかわいそうでした。夕刻も遅くなっているためでしょう、ここにはもう釣人も地元の人影もありません。
Yousuim070630_1

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2007年6月24日 (日)

沈下橋その1

Chinkab070623  近くを流れる川の一番しもにかかる沈下橋を自転車で見に行きました。国土地理院・二万五千分の一地形図を見ると、このような橋は源流までに少なくとも10個はかかっているようです。沈下橋というとよく目にする写真は四国の四万十川にかかる橋ですが、この川にもこんな絵になるような橋があるでしょうか。今日を手始めに、この川に架かる沈下橋の全てを見て回ろうと思います。
 今回訪ねた橋は水面の近く約20cm上にかかる橋で、橋上に腰掛けて足を下ろすと流れに素足をさらすことができます。付近は「鮎の友釣り」の漁区になっており、河原には鮎の釣り人一人と、他にこの地域に住む(たまたま橋に降りるときに一緒になりました)おじいさん、お父さん、男女小学生の子供二人、計家族四人の釣り人がいました。
 時刻は夕暮れ時で、この日はそれほど暑さも厳しくなかったので川面に目をやりながらひと時を過ごしました。薄暮の時間は、日中のようにシャープな景色では無くあたりがやわらかくみえるので休日の一日で私のもっとも好きな時間です。

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2007年6月15日 (金)

自転車に乗って

 40年ぶりに郷里にUターンして約半年が経過、生活のペースも落ち着いてきましたので日々の暮らしぶりを案内しようと、nifty ココログでブログを始めました伊勢芋です。どうぞよろしくお願いします。
 最近左膝を痛めました。整形外科にかかったら軟骨が減り、少し水もたまっているとの診断です。そのため好きな Walking ができないので、医者の勧めもあり膝に負担をかけずに脚の筋肉が20070615_6強化できる自転車に乗ることにしました。10年前東京に単身赴任していた当時はマウンテンバイクを買って、よく江戸川べりを走っていましたがそれ以来久しぶりの自転車です。
 今回は、GIANT クロスバイクのエントリーモデル[ESCAPE R3 SE GOLD色]を購入しました。近隣市で買ったので販売店から自宅までの約10kmを初乗りしました。旧伊勢街道を通り櫛田川に出て、堤防上の道を走り取水堰に架かる狭い橋を対岸に渡って再び堤防上を漕いで自宅に到着。思っていた以上に時間を要しました。体力不足のせいでしょう。これからは Web上にたくさんある自転車サイトを参考に、たびたびでかけたいと思います。

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