歴史街道ウォーキング

2009年1月31日 (土)

奈良をすこし歩く

Kofukuji090130_2  奈良に住む友人に会うため出かけた。奈良に行くのは久し振りのことでJR奈良駅は高架になっていた。奈良町にある「奈良漬のあしびや本舗」が「あしびの郷」というふれあいの施設を構築中で、敷地一帯にレストラン、ギャラリー、工房などを整備していくらしい。座敷で昼食を取ったが、季節の漬物八品をメインとした「おつけもの御膳」が好評とのこと。
 食事の後、これまでなぜか拝観したことの無かった興福寺の諸仏を見に行った。東金堂の薬師如来や日光・月光などをお参りして国宝館に入った。教科書でおなじみの「阿修羅像」を初めて見る、想像していたよりも小さいと感じた。一番印象に残ったのは「旧山田寺本尊仏頭」白鳳時代の像で、なんだか引き込まれる顔つきをしている。ブログの写真は斜めからのものだが、正面の顔が良い。
 奈良は、京都のように人ごみを掻き分けて歩かなくて良く、高い建物も無いので空が抜けており、わんさかと国宝が散らばっている。歩くと心が豊かにそして気持ちが良くなる良いところだ。

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2008年11月29日 (土)

伊勢本街道モニターツアー

Isehonall081129  津市美杉町「伊勢本街道を活かした地域づくり協議会」主催の「伊勢本街道モニターツアー」があったので参加した。同町では「伊勢本街道を通じ、美杉の自然と歴史・人の温もりにふれる癒しの郷づくり」を推進しており、モニターを招き本街道のポイントを歩いてもらい地域づくりの改善に活かそうというのがツアーの主旨だ。
 名松線に乗って集合場所の伊勢奥津駅に向かった。天気がよく沿線の山の紅葉がよく映える。伊勢地・石名原宿、奥津宿、上多気宿を地域の語り部に解説してもらいながら歩くので見所が判り、細い旧街道に入るのも迷わないで済む。北畠神社会館では「街道弁当」をいただいた。この弁当の批評もモニター内容の一項目である。
 奥津宿では、前日に美杉ビレッジで合宿研修をしたという奈良先端技術大学院大学の院生が合流、シニア層が主体のモニター集団に若者が加わって賑やかな街道歩きとなった。ツアーの終着点・道の駅美杉でアンケートを記入して提出、楽しくお得なツアーだった。

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2008年11月 9日 (日)

奥明日香

Okuasukaall081108  2008年度日本エコミュージアム研究会全国大会が奈良県明日香村で開催され、宮川流域ルネッサンス協議会メンバーとして参加、明日香村のボランティアガイドとともに奥明日香を巡った。明日香村は何度も訪れているが、この地域に行ったのは初めてだ。
 栢森集落の先にある芋峠を越えるとそこはもう吉野という地にある。皇極天皇が雨乞いをしたという女渕まで往復した後、子孫繁栄・五穀豊穣を祈願する勧請縄という飛鳥川にかかる珍しい飾りを見ながら、日本棚田百選の一つ稲渕棚田を歩いた。ここは都市住民を対象に棚田オーナー制度によって、耕作が放棄された棚田を復活させた「棚田ルネッサンス活動」の地である。

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2008年8月11日 (月)

木地師の話

Saki080810  自宅から40km程南に下ったところに大紀町崎というところがある。ここの山崎権太夫屋敷で「宮川エコミュージアム講座」が開催されたので参加した。郷土の歴史民俗に関する各種著作のある田畑美穂氏から中世の頃宮川上流域で木材を加工し暮らしの道具を作っていた木地師の話を聞き、その後地元の宮川流域案内人小倉康正氏に崎地域を案内してもらった。
 この地域に多い「○○木屋(「こや」と読む)」という地名は木地師の住んでいたところであり、子孫には「小倉」の姓が多いそうだ。山崎権太夫家の先祖は伊勢国司北畠氏の家臣、木地師が製作した木工品の流通をマネジメントしていたようで江戸期には紀州藩の「独礼格地士」として藩士に準じる扱いを受けており現在まで連綿と続いている。
 崎にある「大皇神社」は、近江の大皇神社本社(文徳天皇の第一皇子「惟喬親王」が祭神、親王を木地師の祖神と崇めている)から分祀したものあるが、立派な社で一帯の小倉姓の氏神様だそうだ。

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2008年7月10日 (木)

寺内町・一身田

Takadaall080708  所用があって津市の一身田に行ってきた。「いっしんでん」と読むが、旧国鉄の駅名は「いしんでん」となっている。伊勢の夫婦岩は「二見が浦」にあるが、どういうわけか駅名は「二見の浦」である。旧国鉄の駅名呼称には何か規則でもあるのだろうか。
 さて一身田は、真宗高田派本山専修寺(せんじゅじ)の寺内町である。今でも周囲に環濠がほぼ完全に残っていて、自治都市であったことがわかる。専修寺堂塔の内、親鸞の御影を安置する御影堂と阿弥陀如来をまつる如来堂は国の重要文化財、御影堂は国内重要文化財の木造建築中大きさ第五位の建造物だそうでとにかくでかい。如来堂の大きさは御影堂の半分以下であるが、二層の屋根を持ち高さがあるためか負けずに大きく見える。
  時間がなかったのでお寺の周りを眺めただけだったが、古い町並みも残っているようなので一度ゆっくりとこの街を歩いてみたいと思った。

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2008年7月 6日 (日)

棚田を歩く

Fukanotenbo   7月に入ってぐっと暑くなり野菜や稲がぐんぐんと大きくなってきた。棚田の稲もさぞかし緑の盛りだろうと、家から20km程のところにある「深野のだんだん田」を歩いてきた。深野は山中にあり、「古くから木地・蚕・和紙を生計の一助にしてきたが、明治に入り邑を挙げて和牛飼育に取り組み『松阪牛発祥の地』として有名」だそうである。
Fukanoall  暑いのでとても日中は歩けない。4時頃から国道の入口を歩き始めて標高差約200mを登って行く。夕方と言えどもまだ暑く汗がほとばしってくる。私は水分をたくさん摂取するためか、大変な汗かきである。登るにつれて石垣を組んだ田んぼが見えてきて、夏明の集落に至るとたくさんの棚田が緑豊かに整然と並んでいる。
 「深野のだんだん田」は「日本棚田百選」の一つ。「石の芸術 深野棚田」の看板を読むと「室町時代中期から江戸時代初期にかけて開拓され、幾重にも積まれた自然石が織り成す風景は、正に石の芸術です。石垣の段数:約120段、積み上げられた石の数:約3百万個」と書いてある。狭い谷間の斜面に作られた棚田で広々としているわけではないが、こじんまりとした良い風景だ。
 帰り道はふもとにあるお寺に寄った。ここには樹齢約300年の「オランダ紅つばき」があり、町の天然記念物に指定されている。

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2008年6月 1日 (日)

二木島峠・逢神坂峠

Nikijima080601  熊野古道の二木島峠・逢神坂峠に行ってきた。尾鷲の先、JR二木島(にぎしま)駅を起点に二木島峠・逢神坂(おおかみざか)峠を経てJR新鹿(あたしか)駅に至る古道コースである。
 二木島駅を降りると女性三人連れのハイカーと一緒になった。小さな世古に入りすぐ左手の石段を登り民家の軒先を縫うように続く路地を歩く。左手には二木島湾がよく展望できる。キリシタン灯篭を経て国道に出るとすぐに急な石段を登ると二木島峠入口がある。うっそうとした森の中の道を1時間弱歩き二木島峠につく。展望は全くない。ここで弁当を食べた。
Ookamizaka080601  ここから逢神坂峠へと行く。峠の名は「伊勢と熊野の神が逢うところ」に由来するとも、「狼が多く出た」ことからとも言われているそうだ。ルートの殆どが苔むした石畳や苔の地道で気分の良い古道歩きができる。猪が畑に入らないように防護するための「猪垣」と呼ばれる石垣の場所を過ぎるとやがて逢神坂峠につく。ここも全く展望が利かない。峠からは、一気に下りだが最後まで苔むした美しい石畳が続く。苔にも新緑があるのだろう。瑞々しいライトグリーン色をしているが、滑りやすいので気をつけて歩む。
 新鹿に出ると、白砂の大きな海岸がある。ここは県下有数の美しい海水浴場だ。海岸に寄り道をしてから坂を登りJR新鹿駅に到着した。 

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2008年5月 3日 (土)

初瀬街道・阿保宿

Ainohonbu  4月下旬から8月下旬までのスケジュールで毎週土曜日に「有機野菜づくり」を学んでいる。この講座は(社)全国愛農会が主宰するもので受講者各人に30m2程度の圃場が割り当てられ、ここを実際に耕作して土づくりから収穫まで実践的に有機農業の技術を学ぶものだ。肥料はもっぱら「ぼかし肥料」を使う。座学で、畝立て・施肥・定植・整枝等の方法を学び圃場でそれを実際に行うので具体的でわかりやすい。これならば栽培経験の全く乏しい私でも野菜作りがある程度できそうだと今のところ感じている。
 愛農会は、「愛農高校」という学校を運営しており北は北海道から南は沖縄まで全国からの生徒が現在3学年で60数人学んでいるそうだ。場所は青山町にあり、学園のすぐ近くが「初瀬街道・阿保宿」。
Ao2080503  初瀬街道は、長谷寺詣でを終えた参宮者が伊勢神宮を目指して通った信仰の道で、古代には大海人皇子が名張に至り、斎王が都から伊勢に赴いた道でもある。帰りの電車まで時間があったので阿保宿を少し歩いた。街道沿いに「若戎酒造」の建物が目を引いた。その向いは旅籠「たわらや」があったところに「初瀬街道交流の館」が建っており、ここに保存されている「参宮講看板」69枚と屋号看板1枚は三重県有形民俗文化財に指定されている。
Ao1080503

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2008年4月28日 (月)

ツヅラト峠

Photo  良い季節になったので気の合う友人との熊野古道伊勢路巡りを再開した。今日の訪問地はツヅラト峠、かつて紀伊國と伊勢國の国境をなしていた峠で伊勢路の巡礼者が熊野の海を始めて目にする場所だ。

All080427  JR紀勢線の梅ケ谷駅で下車、数組の同好の士がいる。歩き始めてしばらくすると深山の雰囲気が漂ってきて舗装道から土道に入りしばらく登るとツヅラト峠、駅から1時間強ほどで熊野灘を眺められる見晴らし台に着ける。海からの風が心地よく、ここでお弁当を食べてのんびりと雄大な景色を愉しんだ。靄がかかっていて紀の松島とも呼ばれる島影はぼんやりとしかみえないのが残念だった。
 峠からは一気に下り、野面層積の石垣やところどころに残る石畳の道を歩くとツヅラト花広場に着く。しばらく志子川畔を歩き、もうすぐ駅かと思っているころにまた最後の山道が現れ少々くたびれる。これを越えると長島高校(尾鷲高校の分校になっていた)の脇を通って紀伊長島駅に出る。帰りの名古屋行臨時快速列車4両編成は、尾鷲で何か催事があったのかハイキングスタイルの人たちで満員であった。

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2007年12月 5日 (水)

大黒屋光太夫

Kodayu1071204 若い頃、井上靖の『おろしや国酔夢譚』を読んで、大黒屋光太夫を知った。江戸時代の伊勢国にこんな立派な人物がいたのだと感銘を受け郷土の誇りだと思い心に残った。大黒屋光太夫は伊勢若松の生まれで、江戸時代白子港を拠点とした回船の船頭をしていたが嵐に会い遭難。アリューシャン列島に漂着後、ロシアに渡りサンクトペテルブルグで当時の皇帝エカテリナⅡ世に謁見し、漂流の10年後に日本に帰還した人である。
 先日の新聞に、鈴鹿市・若松にある大黒屋光太夫記念館で「伊勢湾近辺の漂流者たち」と題した特別展を開催しているとの記事があったので、本を読んだ頃のことを思い出し記念館に行ってきた。漂流といえば吉村昭がよくこれを題材にした小説を書いており、『おろしや国酔夢譚』が書かれた後に発見された光太夫の新しい資料を踏まえて吉村昭もまた『大黒屋光太夫』を書いているがこれはまだ読んでいない。
 記念館で展示内容を見学した後、光太夫のお墓も見たいと思い受付で場所を聞いていると、たまたま詰めておられた「光太夫顕彰会」のO氏がご親切にも案内して下さるという。供養碑・お墓を
案内してもらった後さらに白子港まで足を伸ばし、神昌丸出帆の地記念碑と井上靖による「大黒屋光太夫・讃」碑を見て、さらに近くだからと「鈴鹿市伝統産業会館」にまで案内していただいた。鈴鹿と言えば「伊勢形紙」ということは知っていたが、「鈴鹿墨」もあるとは知らなかった。大変いい勉強をさせていただいた。
 地元の人がこうやって親身になって郷土の偉人を案内してくださる、ありがたいと感謝すると同時にこのような郷土愛が街の印象を大変良くしているのだなとつくづく思う。O氏は先日も、東京から一人で休館日の光太夫記念館を訪ねてきた男性を案内されたそうだ。Oさん、本当にありがとうございました。
Kodayu4071204

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2007年11月20日 (火)

馬越峠

Magoseall071118 熊野古道・伊勢路の馬越峠(まごせとうげ)を、気の合う仲間三人で歩いてきた。伊勢路は伊勢神宮から熊野三山を目指す参詣道で、江戸時代以降に伊勢参宮を終えた旅人や西国三十三所めぐりの巡礼たちが盛んに歩くようになった道である。馬越峠道は伊勢路の中でも美しい石畳で知られた古道だ。
 三重交通南紀特急バスの鷲毛停留所で下車すると、すぐ目の前が馬越峠の登り口になっている。少し手前にある道の駅海山に寄ったらミカンをもらった。この土曜日・日曜日の二日間、日本ウォーキング協会主催の「おわせ海・山ツーデーウォーク」が催され600人近い参加者があるらしい、その参加者への差し入れのミカンだった。
 古道を登り始める、確かに石畳が美しい。敷き詰められた石が大きくて、デコボコも少ないので石畳の割りには歩きやすい。石山なのだろう、古道脇には大きな岩がゴロゴロしている。林道を横切ってしばらく行くと茶屋跡のある峠に出る、ここが馬越峠だ。峠から天狗倉山(てんぐらさん)への登山道が分岐しており、この急な尾根道を登ると大岩に出会う。大岩を迂回してその背後に出ると突然視界が開け、尾鷲市街・古道の八鬼山・熊野灘の絶景が望める。大岩には鎖のついた梯子が架かっており登ると以外に広い、台高の山々が良く眺められる。
 古道を尾鷲に向かう下り道も、馬越公園まで石畳が続く。尾鷲神社まで出るともう尾鷲駅が近いがJR紀勢線の発車までたっぷりと時間があるので、今年3月にオープンした県立熊野古道センターまでさらに歩いた。センターまで行くと、ここがツーデーウォークのゴールになっていて完歩者に大敷汁が振舞われている、便乗していただくことにした。大敷汁とは大敷網にかかった魚を煮込んだ味噌汁だそうで、本来は漁師の船上料理らしい。
 センターで一休みしてもまだ時間がある。ふるさと創生1億円で建設したという駅近くの尾鷲天文科学館に寄った。建設当時は全国自治体の中で一番大きい反射望遠鏡で、今でも七番目の大きさだそうだ。あいにく空は曇ってきており望遠鏡は覗かなかったが、教師を定年退職されたという同世代の館員の方と四方山話をして楽しいひと時が持てた。
Magoselarge071118

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2007年9月30日 (日)

二見浦

Hinjitsu070929 夫婦岩で名高い二見浦にある『賓日館』という施設で、県が企画している地域づくり「美し国おこし・三重」の取組として「三重の文化力フォーラム」があったので参加してみた。賓日館は明治15年、国から二見浦が日本で初めての海水浴場に指定されたのを契機に神宮の崇敬団体によって賓客の休憩・宿泊施設として建設されたもの。現在は、資料館兼活動施設としてNPO法人により運営されている。当時は海水浴といっても海水療養で、タラソテラピーのような位置づけであったらしい。
 賓日館の造りは豪華で、正面玄関は唐破風・二階の大広間は百二十畳敷・二重格天井の桃山式書院造である。豪華な施設ではあるが畳敷きなので、間に休憩を挟んだものの約3時間座布団の上で胡坐をかいて話を聞くのは正直疲れた。このような催しはやはり椅子に腰掛ないと大変だ。Kozaki070929
 二見まで行くついでに神宮の125社めぐりもしようと、早めに家を出てJR参宮線の松下駅で下車して内宮摂社:神前(こうざき)神社に向かった。アプローチの道には、産業廃棄物処分場やペット火葬場がありおよそ神域に向かうルートにはふさわしくないものがある。それでも参道入口まで来ると鬱蒼とした森となり、ここからが大変だった。神社は神前岬に突き出た山の頂上にあるため、急な斜面を270段登らなければならない。やっと頂上の神社に登り着いたが付近も木が生い茂りまわりの景色はまったく見えない。この下の神前海岸では、明治期まで内宮にお供えする海藻や貝を採る贄海神事が行われていたそうだ。

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2007年8月15日 (水)

宝塚古墳・船形埴輪

Takaraduka070814 東京で仕事をしている古くからの友人の一人がお盆休をとって帰省したので久しぶりに会食をした。現役時代は東京出張の際時々会っていたが、昨年の勤務先退職後は出張の機会がとんと無くなり会食できるのは盆と正月くらいのものである。
 二人とも歴史に興味があるため、近在にある古墳から発掘された「船形埴輪」を見に行こうという話になり、市の文化財センタ(はにわ館)に寄った。
 この船形埴輪は、伊勢地方最大の古墳として1932年に重要文化財・国指定史跡となり保護されてきた宝塚1号墳の発掘調査(1999年)により出土したものである。被葬者は不明であるが、古代にこの地方で勢力を誇った飯高(イイタカ)氏ではないかという。
 埴輪は全長140cm、高さ90cm、幅25cm。二つの楕円形の円筒台に乗せられており、船上には、船首から順に王の権威を象徴する大刀(たち)、威杖(いじょう・王の持つ杖)、蓋(きぬがさ・尊い人にさす日傘)がマスト状に立つ。ほぼ完全な形に復元できる日本最大の船形埴輪で、「全国でも最高水準の埴輪資料」と評価されている。発掘調査のその他の出土品と合わせて、2006年国の重要文化財に指定された。
 センタには通常「本物」が展示されているが、来年3月までは修理のためレプリカの展示となっていた。

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2007年8月 7日 (火)

広重・五十三次

53tugi070807 県立美術館で、歌川広重画 保永堂版「東海道五十三次」を展示の中心とした浮世絵企画展が開催されており見てきました。
 私はこの五十三次が好きで、以前から一度本物の全点を見たいものだと思っていたのでちょうどいい機会でした。五十三次の中でも人気のある<蒲原>と<庄野>の二点は会場中央に展示されていました。
 広重・五十三次のヒットが契機となり、葛飾北斎・歌川豊国、歌川国芳等による五十三次シリーズが作成されたとのことで、それらの作品とともに広重の「江戸名所百景」ほか多くの風景浮世絵がありなかなか充実した内容でした。

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2007年6月18日 (月)

あじさいの小径

 里山に流れる用水に沿ってあじさいの植栽が続く「立梅用水・あじさいの小径」に行ってきました。用水はAjisai070618_1 江戸時代後期、この地域からの請願により紀州藩の事業として開削された灌漑用水で、農林水産省が疎水百選に選定しています。「大人の東海ウォーカー」という雑誌の特集で「日本ウォーキング協会太鼓判の道8選」の一つとして紹介されていましたので、記事を参考に訪れました。
 ここでは村おこしの一つとして1993年から「あじさい一万本植栽運動」が展開され、今では二万本ものあじさいが咲いているそうです。あじさいは梅雨時の花なので、今日のように雨の中で見るほうが生き生きとして美しく見えますね。

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2007年6月16日 (土)

近長谷寺ハイキング

 梅雨入したというのに上天気となったので、近所のOさんお二人に誘われて「近長谷寺(きんちょうこくじ)」(奈良の長谷寺、鎌倉の長谷寺とともに日本三観音の一つ)にハイキングしました。コース入口付近の駐車場まで車で行き、ここから往復約6㎞のコースです。コースの1/3あたりまで行ったところにあるのが、天気の大変良い日には富士山が見えるという富士見台で、富士山は見えませんでしたが良い眺めでした。その後は杉と楢の生えた山道をひたすら登り標高差200mをこなしたところに、ひっそりと近長谷寺が建っています。Kincho070616jpg
 ここは現在無住のお寺ですが、地元長谷地区の人々の管理によって、日曜・祝日、毎月18日には本尊の拝観ができます。今日は拝観できる日ではありませんでしたので、わずかに扉の隙間から本尊を見ただけでしたが高さ6.60mの巨大な金色十一面観音立像(国指定重要文化財)は堂々とした威厳が感じられました。右手に錫杖、左手に花瓶を持つ長谷型観音像です。
 近長谷寺は、仁和元年(885年)伊勢の国の豪族「飯高宿禰諸氏」が、人皇五十八代・光孝天皇の勅願所として建立したもの。飯高氏は奈良時代、四代の天皇(元正・聖武・淳仁・孝謙)に仕えた妥女「飯高諸高」を送り出した豪族で、丹生から産出する「水銀」で富を築き上げました。伊勢の皇大神宮に近いということで近の一字を加え「近長谷寺(きんちょうこくじ)」と号しています。
 帰り道は近くを通る林道を歩き、花の名前などを教えてもらいながら(Oさんの一人は山の植物にめっぽう詳しい先輩です)駐車場まで戻りましたが案の定、膝が痛くなってきました。少しくらいならいいだろうという安易な考えではやはりダメですね。当分自転車でガマンすることにします。

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